宝塚ボーイズ(考える野球の教え)、田中将大と出会う

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宝塚ボーイズ入団のきっかけ

宝塚ボーイズに入ったきっかけは何だったの?

よし
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宝塚ボーイズに入ったきっかけは友達の誘いからだったよ。

少年野球も卒業間際、今後みんな野球をどこで続けるのかと話す機会が増えました。

自分は当たり前のように中学校の野球部に入り、小学校で一緒にプレーしたみんなと野球をするものだと思っていました。

しかし、ある友人が「おれは元プロ野球のイチロー専属バッティングピッチャーを務めていたチームで野球をする」と自分に話しかけてきました。

話によるとそのチームは硬式野球のクラブチームでどこのリーグにも所属していなく、自分が入るとなれば2期生にあたるということでした。

その後、その友達に体験練習があるから一緒に行く?と誘われました。

自分の偏見ですが、当時は硬式野球にあまり良いイメージがなかったのですが、参加だけならいいかなと思い一緒についていきました。


当日、体験練習のグラウンドに行くと監督らしい方が待ってくれていました。

見た目は若く、年齢は当時26歳?あたり。そこで奥村監督と出会いました。

平日ということもありまだ、他の練習生は学校のため数人しかグラウンドのいなかったのですが、さっそく外野で軽いランニングやアップを行いました。

春先ということもあり、外野は芝を燃やしていたので真っ黒だったことを今でも覚えています。

その時の奥村監督はニコニコしていて気さくに話しかけてくれていたのが印象的で、小学校の時は怒られてばかりでしたのでここなら更に野球を楽しめると感じました。

                     
そして、初めての硬式ボールを使ってのキャッチボールを行いました。

キャッチボールの相手が一つ上の先輩で、自分の憧れの先輩になる人でした。

高校もその先輩を追いかけることとなります。

硬式ボールの印象は軟式と比べてだいぶ重く、滑りやすい。

何か石を投げている感覚に近いものがありました。

両膝をついてからのキャッチボール、その後、片膝をついて。

グローブを外して、ボールに合わして右足を踏み出して取る。

キャッチボールだけでこんな色々な種類があるのだと新鮮に感じました。

相手の先輩も、「回転を意識して投げろよ」と少し怖かったのですが、今までは様々な取り組みの中で意識するということがあまりなく、今までは感覚で野球をしていたのでここで教わったら上手くなれると思い、入団を決意しました。

野球塾

宝塚ボーイズは他の野球チームと何が違うの?

よし
よし

練習はトレーニングから細かな部分まで全て意味があります。

選手が個人個人で意味を理解し取り組む姿勢が大きな違い。

中学に入学し、奥村監督の下で教えて頂きたく入団したのですが、その頃はどこのリーグにも所属しておらず、チーム名もドリームファイターズという名でした。

メンバーも色々なところから野球が上手くなりたい人ばかりが集まっていました。

少年野球の時に別の小学校ですごく上手だった先輩や、初めて見る上手い方ばかり。

その上、みんなの野球に取り組む意識の高さにびっくりしていました。


練習時間は、週に4回(火、木、土、日)

平日は学校が終わってからでしたので2、3時間程度。

土日、祝日は1日練習といった感じ。※その後は、金曜日も増えました

トレーニングコーチも奥村監督の奥さんである弥生コーチが教えてくれていました。

優しい方で監督に怒られた時もいつも味方になってフォローしてくださり、トレーニング面以外でも支えてくださいました。

トレーニングもただ走るだけではなく、走り方、呼吸の仕方、どの部分を意識してトレーニングを行うこと。

野球だけではなく学業も両立しなければいけないと厳しく指導いただきました。

当時は学校の通信簿も提出していたと思います。

野球のプレー面では、

具体的なプレーでは、ピックオフ、セフティースクイズ、偽装スクイズ、ディレードスチール等など、自分の野球の幅をさらに膨らませてくれた3年間でした。

野球を通じての人間形成、礼儀、マナー、人としての考え方、スポーツ選手としての意識を教わりました。

リーグ加盟

初めのころはボーイズリーグに所属していなかったんだ。

よし
よし

当初は、まだ所属が決まっていなくて名前も

宝塚ボーイズではなくDREAM FIGHTERSという名前だったよ。

よし
よし

みんな知っているとは思うけど

防止のマークやグラウンドコートのイニシャルもDになっているんだ。

そして、チームで色々協議した結果、ボーイズリーグに所属することになりチーム名は宝塚ボーイズとなりました。

始めは、新参者でしたので周りから勝ち続けることで嫌味を言われたりしていました。

それでもチームはその逆境を耐え抜き、

実績を収めて最終的には1期生が全国大会ベスト8の成績を残しました。

自分はベンチには入っていたのですが、スタメンで出ることは余りなく、ポジションも小学校の頃に守っていたキャッチャーではなく、ピッチャー、外野が中心でした。

憧れていた先輩は日本代表に選ばれ、現在メジャーでも活躍するダルビッシュ選手と一緒になって世界大会で活躍されました。


そして、自分たちの学年主体になる少し前に、ある選手が入団してきます。

すごい選手たち

すごい選手ってどんな選手がいたの??

よし
よし

対戦した選手でプロでも活躍している選手も大勢いたよ。

一緒に野球をしていて有名な選手は田中将大選手かな?

1期生が全国大会ベスト8になる前にある選手が入ってきました。

それがヤンキースで活躍し、現在、楽天に復帰した田中将大選手でした。

当時の自分の印象は、体が大きく遠くに投げる力や、飛ばす能力も高かったことを覚えています。

性格は謙虚で真面目

優しい性格で自分を持っており、絶対に周りに流されない印象でした。

当時は、ピッチャーをしておらず、自分たちの学年では、キャッチャーや外野で5番バッターを打っていたと思います。

自分は、その時3番バッターでした。

ポジションはサード、ファーストで外野は守ることはありませんでした。

ピッチャーはクビでした。笑


将大と話しているときに、「将大は、宝塚ボーイズに入ったけど一緒にバッテリーを組んでいたピッチャーの子はどこにいったん?」と話したことがありました。

すると将大は「伊丹シニアに入りましたよ」と答えました。

その当時は何も気に留めなかったのですが・・・

次にすごいというか凄すぎて言葉にならなかったの選手がいます。

もう引退されていますが、同じ学年の元阪神タイガースの鶴直人さんです。

正直やばいどころではありませんでした。

まだ、宝塚ボーイズがどこのリーグにも所属していない時に大阪大会決勝の試合で1年生ながらマウンドで投げていたのが鶴さんでした。

これが同じ学年??と唖然になったことを今でも鮮明に覚えています。

 
その後、鶴さんは忠岡ボーイズに所属されていたのですが、なぜかよく練習試合をしていました。

対戦する機会も多く、打席も何度もたつことがあったのですが、外から見ていた時の数倍すごかったです。

なかでも、ストレートが早く、イメージとしては糸を引く奇麗なストレートなのですがホップするような球で見たこともない球でした。

自分の野球人生でもダントツですごいピッチャーでした。


鶴選手の1学年下にいたのがメジャーでも活躍する前田健太選手です。

当時の印象的はあまりないのですが、彼の学年で日本代表に選ばれMVPも取った選手ですのでやはり中学校時代から突出していたのだと思います。


他にも、Tー岡田選手などボーイズリーグで活躍する選手を目の当たりにし、プロ野球選手って無理だろなとあきらめも出てきました。

ただ、その反面、甲子園に出たいという気持ちが芽生えてきました。

次回

今回は、中学時代の宝塚ボーイズの話を中心に書きましたが、次回は、中学3年生時の最終学年時を振り返りたいと思います。

色々すごい選手を目の当たりにし、自分もまだまだ練習をしないといけないという気持ちが芽生え、最終学年ではグンと成長できたのではないかと思います。

お世話になった宝塚ボーイズも残り2年ほどで解散するということが決まったようです。

2期生としてさみしい気持ちでありますがまた、奥村監督、弥生コーチに会ってお礼を言いたいと思います。

最後にお会いしたのは大学時代に顔を出さしていただいのが最後で、全国大会の結果も電話で伝えれずに、申し訳ない気持ちのまま10年以上が経ってしまいました。

結果を伝えれなかった理由も今後振り返りたい思います。(宝塚ボーイズホームページ)


今回もご愛読いただきありがとうございました。

貴重なお時間頂き、ありがとうございました。

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普通のサラリーマンで、野球バカです。笑 学歴などにコンプレックスを持っています。ただ、そんな自分でも考え方を変えるだけで人は変われると思いました。サラリーマンの方に少しでも勇気を与えるためにブログを始めました。

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サラリーマンからの成り上がり~yoshiブログ~

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