今回は、自分の人生の根幹でもある野球についてお伝えします。
人前に出ることや話すことが苦手でしたが思い切って生徒会長もやってみました。
小さいころの経験って大切ですよね。
野球に出会う
野球に出会ったきっかけは、
仲の良い友達が地域の野球チームに入ってたことがきっかけでした。
野球を始めるきっかけ
このあたりから記憶が鮮明になってきます。
前回の記事でサッカーをやめたことまではお伝えしたのですが、ちょっとしたきっかけで野球と出会うこととなります。
サッカーをやめてから友達と遊ぶことが楽しくて、気づいたらいつも公園で遊んでいました。
ただ、その友達は地域の少年野球チームに入っていたので週末の土日は遊べませんでした。
そんな遊べない日が続いたある日、
その少年野球チームの代表さんが両親に「何も運動をしていなかったら一緒に野球をやらないか」と、誘いがあったことを自分に教えてくれました。
その時が、小学2年生の終わり頃でした。
いつも遊んでいた子も、その野球チームに入っているのですんなりとチームに馴染めました。
このことがきっかけで野球に携わっていくこととなり、
多くの経験、いろいろな方への感謝の気持ちや、礼儀を学んでいくようになります。
野球を始める
入部したころは、1年生から4年生までが一括りのチームで通称Cチーム?でした。
自分の学年は、自分を含めて5人くらいだったと思います。
Cチーム全員の人数を合わしても15人もいませんでした。
そんな状態ですから、すぐに試合に出れました。笑
人数がいないため、初めての試合は8番サード(右投げ、右打ち)で出場しました。
相手チームの名前は忘れましたが、自身は無難に守備もこなしていたような気がします。
そして、人生初打席、結果はレフト前ヒット!!
何十年も前のことですが、この時の感触や頭の中の映像は鮮明に残っており、その嬉しさは今でも忘れません。
この1球が野球の楽しさを教えてくれました。
サッカーの時との違いは、成功した時の喜びが大きかったことでした。
これをきっかけに反復練習を行い、少しでも上手くなりたいという気持ちが芽生えていきました。
野球が上達していく
小学3、4年生になると体は小さく細身だったのですが、キャッチャーがいなかったのでサードからポジション変更しました。
そこから小学生の頃は6年生までキャッチャーを続けることになります。
運動はある程度どのスポーツでもこなせるタイプで足も速い方でした。
Cチームでは4番バッターを打つようになり、力強い送球もできるようになりました。
小学生のあるある、ランニングホームランも良く打っていました。笑
また、4年生時には5、6年生の試合に呼ばれることも多くなり、その頃は、8番ライト(ライパチ笑)で試合に出してもらっていました。
ただ、高学年の人と混じって試合に出ると体つきも違い、球のスピード感も全く違いました。
緊張で体が動かず、Aチームの試合に出るのは嫌だなと感じていました。笑
野球で初めての挫折
小学4年生の終わりごろからバッティングのスランプに陥りました。
本当にあの時は練習をしても全く状態が上がらず、どうしたらいいのかお手上げでした。
遊び感覚で左のスイングをしていたのですが、当時のコーチに「左のスイングが奇麗だから少し練習してみたら?」と言われました。
右投げ左打ちは小学生の時は少なかったのでカッコよさや希少を理由に小学校5年生に左バッターに変える決断をしました。
そこからが大変でした。
クリーンナップを打つことが当たり前だった自分が、毎回下位打線で試合に出場。
全く感覚が掴めずにほぼ1年間自分の思うバッティングができませんでした。
今思えば、右バッターでも実力はあったので続けていればどうだったのかな?思い返すことがあります。
母親が毎朝、小学校に行く前に庭でトスバッティングに付き合ってくれました。
学校に行ってまた帰ってきて練習、その繰り返しでした。
両親が自分に時間を割いてくれてすごくうれしかったし、そのおかげで野球が上手くなるきっかけになりました。
あの時は本当にありがとう!!
小学6年生になると基本的には送りバントはしない2番固定でした。
徐々に打てるようになってきて野球を始めた頃の楽しさをまた感じることが出来ました。
先ほどから全く触れていなかったのですが、チームの強さは地区大会1回戦負けが基本。笑
良くて2回戦負け。笑
勝つ楽しさはあまり感じれなかった小学生の野球成績でした。
ただ、1回だけ市の総当たり戦があり、10チーム中2位と謎の強さを見せつけたこともありました。
これは本当謎。笑
その後、そのまま中学校の野球部に入ろうかと思っていましたが・・・
学校生活(高学年)
子供は、感度が高く大人よりも優れている部分が多い。
自分も子供と一緒に成長をしていきたい。
子供の五感
一方、高学年の学校生活はというと4年生の時の担任の先生がすごくアクティブな先生で、一緒にドッジボールなどを昼休みにやってくれるみんなからも人気の先生でした。
給食はカレーしか食べない偏食でしたけどね。笑
今思えば、休み時間は他の業務もある中で自分たちに時間を割いてくれたことにすごく嬉しかったですし感謝しないといけないですね。
今ではアウトですが、バッティングセンターに車で連れて行ってくれたり、クラスの水槽にいれる魚を先生の車で買いに行ったりしました。笑
そこまでしてはいけないと思いますが、生徒想いの先生でしたね。
今でも感じることですが、色々な経験にお金を使うということは大切なことだと改めて感じます。
自分も現在、二人の子供がいるので経験に対しては惜しみなくやりたいことをやらしてあげたいと考えます。
その後、5、6年生の担任の先生は、意地悪でえこひいきが強い先生でした。笑
現在は、教育委員会の偉い人のようですが正直どうでもいいかなって感じです。
子供は大人が思っているよりも色々なことを考えているし、感じることも多く感覚が鋭い。
それに子供は我慢していることだってたくさんある。
何でも言いたい放題ではいけないですが、話したいことを話せるようにするためにも大人(親)がそういう環境を作っていかなければなりません。
話はそれましたが、それくらい関わる人は重要です。
良い部分は子供にも伝えていき、自分も子供から多くのことを学んでいきたい。
生徒会長
小学5年生の時に、6年生時の生徒会役員に立候補する機会がありました。
野球を初めて4年が経ち、まだ人見知りや恥ずかしがり屋はなくなっていませんでした。
しかし、何か学校の行事も自分から関わっていこうと思うようになりました。
自分に自信がついてきたのは野球を通してだったのかもしれません。
それを後押しする理由としては父親も同じ小学校で、生徒会長をしていたことが大きかったと思います。
結果は、無事生徒会長に選ばれました。
人前で話したりする機会も増え、全校生徒の前で話したりもしました。
ただ、人前で話すのは今でも得意ではありませんが・・・笑
何か自分でも色々考えて、少しでも前に進もうとする小学校高学年でした。
これも野球を通じて成長できたのかもしれませんね。
次回は
今回は、野球を始めたきっかけや自分の心境の変化、学校で大人に対して感じた違和感などを思い出しながら綴って見ました。
改めて振り返って見ても子供の成長に少しでも関わっていきたいと感じさせられました。
次回は、中学時代を振り返っていきたいと思います。
学校生活よりも野球のことが中心になります。
本日も貴重なお時間を頂きありがとうございました。
コメント